【心のバリアフリーを育むまちづくりを】

街路樹のある道路って素敵ですよね。街に彩りを引き込む街路樹が全ての道路にあったら、どんなに素敵だろうかと思いを膨らませたりしますが、歩道にあるそんな街路樹の植栽スペースも管理のやり方によっては危険な場所になることもあります。

写真は藤沢市内にある歩道の植栽スペースですが、その縁は歩道面と同じ高さで段差がありませんが、歩道面と植栽スペースの土までの高低差は約10cmもありました。また、この道路沿いにある他の植栽スペースを見てみると、同じように高低差が約10cm程度ある植栽スペースが沢山あることを確認することができました。
しかし、残念なことにこれらの植栽スペースには注意を促すサインがなく、夜になれば決して明るいとは言えない状況から考えるても、車椅子だけではなく歩道を利用する全ての人たちにとって、タイヤや足を踏み外す可能性のある危険な場所になっていると言えます。

このように、ふだん安全に見える歩道に潜む危険は、ほかにもたくさんあります。

一例を挙げると、

・歩道と車道の間にガードレールがない

・10%以上の勾配ある急な上り坂・下り坂

・車道に向かって設けられた急なスロープ

・幅の狭い歩道

・歩道にはみ出た看板

などです。

では、このような問題を解消し、誰もが活動を制限されず安全な環境を備えた街にしていくにはていくには、どのような取り組みを行っていくべきなのでしょうか。

私が考える解決方法は、街中にある問題をいかに私たち自身が私ごとだと感じる事が出来るかということに尽きると思います。

例えば、今現在の自分自身の健康状態や経済状況だけで街中を見るだけではなく、もし状況が悪くなった自分というフィルターで当事者として見ることができれば、逆境の中、新たな再チャレンジや再スタートをしやすい生活環境や社会制度を今から整え、社会に保険をかけておくことができるのではないでしょうか。つまり、”状況が悪くなった自分”という視点が弱者を考えることであり、弱者にストレスのない社会は多くの人々にとってもストレスの少ない共有財産だと私ごととしてとらえられることが「心のバリアフリー」なのではないかと私は思うのです。

今回、歩道に潜む危険を例にあげてみましたが、当事者になって初めて気付く問題は私たちの住む藤沢市にも、環境や制度の中に無数にあります。

もし、私達市民の多くが心のバリアフリーを育み、街中に潜む問題を私ごととして捉えることができたならば、多くの問題は何事もなかったように改善されていくでしょう。そして、弱者はなぜ弱者なのか、弱者が弱者たらしめているのは何なのか、といった問題により深く議論ができるのではないでしょうか。

自身が弱者側になったとき、それでも希望を持ち、諦めるという選択肢だけにならないようなまちづくりを実現させて行きたいものです。

最新情報をチェックしよう!