先日、日米首脳会談が行われましたが、ホルムズ海峡への自衛隊の派遣要請をめぐり、日本国憲法の適用範囲が問題となっていましたが、何かあるたびに問題となる日本国憲法の印象はどのようなものでしょうか?
私の印象は、自分の国の憲法ですが、曖昧で矛盾していて、その解釈をめぐり、知識人(政治家、憲法学者)が、進展のない平行線の議論を、延々と繰り返し続けているといった印象です。
「国家の最高法規」なのに、「一体誰がこんな憲法を作ったんだよ?」って叫びたくなります。これじゃあ「誇り」なんて持てないと思いませんか?
実は日本国憲法の問題は、正に「誰」が作ったのかにあります。
一般的に、現在の日本国憲法は、GHQが作成した草案(マッカーサー草案)を、日本の議会(当時はまだ帝国議会)で協議され、修正を加え公布・施行に至ったとされています。
しかし、時系列で日本国憲法の公布までを見ると、あまりにも短い期間で制定されており、また憲法改正が終戦間もないGHQ占領下で、マッカーサー主導のもと進められたことを考えると、異常な状況で日本国憲法が作られたことは間違いありません。
時系列で見ると、以下のようになります。
1945年8月15日 終戦
1945年8月30日 マッカーサー日本上陸
1945年10月 マッカーサー、憲法改正を示唆
1945年10月~ 日本政府(松本委員会)が自主的な改正案を検討開始
1946年2月1日 毎日新聞が松本案をスクープ→GHQが内容の保守性に全面拒否
1946年2月4日~ ※ GHQが独自草案を9日で秘密裏に作成(いわゆるマッカーサー草案)
1946年2月13日 GHQ草案を日本政府に提示
1946年3月 日本政府が草案を受け入れ、翻訳・修正作業
1946年11月3日 日本国憲法公布
1947年5月3日 日本国憲法施行
お分かりいただけたでしょうか?
草案の作成にGHQがかけた日数は9日間。また、日本政府が草案を受け入れてから国民に公布するまで、わずか8ヶ月間しか要していないのです。さらに付け加えると、マッカーサー草案の作成に関わったのはGHQ民政局員約25名であり、そのほとんどが憲法の専門家ではありませんでした。
このような短い期間で憲法を制定する事は通常あり得ませんし、マッカーサーによる大きな圧力がなければ、このような事は起こり得ません。当然、GHQが出した草案の内容に日本側が口を挟む機会は極めて限定的で、ほぼ和文への翻訳と表現について検討されただけでした。しかし、なぜマッカーサーはここまで新憲法の制定を急いだのでしょうか?
それが「極東委員会」の存在でした。
極東委員会とは、米・英・ソ・中など11カ国で構成された対日占領政策の最高決定機関で、GHQの政策見直しや基本方針の策定を行った組織です。そしてこの極東委員会の正式な発足日が1946年2月26日だったのです。
つまりマッカーサーにとって、極東委員会が動き出せば権限が極東委員会に移行し、憲法改正や占領政策などが多国間の協議事項となり、それまでのように単独裁量で決められなくなってしまうのです。
また、ソ連と中国が憲法改正に関与すれば、天皇制の廃止や天皇を戦犯として訴追要求するなど、厳しい条件を突きつける可能性が強くありました。安定した占領統治には、天皇の存在が不可欠だと感じていたマッカーサーは、天皇を象徴として憲法に位置づけることで、天皇の訴追を封じる必要がありました。また、GHQはそのことを利用し、日本側には「日本政府がマッカーサー草案を拒否すれば、天皇を守る事はできない」と脅し、極東委員会が発足する前に憲法改正の既成事実を作ろうとしていたのです。結果的に、極東委員会は、重大な政策項目がなくなり、結果的に形骸化されてしまうことになります。
これが日本国憲法が、異常な速さで制定されることになった過程です。
GHQは、米国による単独占領支配をより強固なものにするために強硬な態度を取り、極めて短い期間で制定された日本国憲法が、結果的に日本の平和と安定に機能して来た一面もありますが、国家の最高法規である憲法に、日本人のアイデンティティーが全く反映されず誕生したことも紛れもない事実なのです。
昨年、戦後 80年を迎えましたが、その間一度も憲法が改正される事はありませんでした。しかしこのままでは、ホルムズ海峡への自衛隊派遣問題が示すように、今後も同じ議論が繰り返され、日本国憲法への疑念を抱き続ける結果になると思うのです。
「日本人の、日本人による、日本人のための憲法」を、そろそろ一から創生しても良いのではないかと考えますが、皆さんはどうでしょうか?