【障害者と健常者が共に働く社会へ】

『もし、あなたや家族が障害者になったとき、生き甲斐を感じられる仕事や将来に希望を持てる労働条件を得られる社会がありますか?』

【4人に1人が貧困】
私達の国には、障害者として認定されており生産年齢人口にある方が約
400万人います。しかし、そのうち就労している障害者の数は僅か15%の約60万人に過ぎません。

もちろん、重度の障害を持たれ就労を行うことが困難な方もおられます。しかし、就労に就くことができていない85%の障害者全ての方が、心身的に働くことが困難であったり、働く意欲がないわけではありません。

そして、今、日本の障害者は4人に1人が貧困と言われています。重度の障害者になると、その割合はさらに増え、一度貧困になってしまうとなかなか抜け出すことが難しくなってしまうのです。そして、貧困は本人だけではなく、障害を抱えた子供を持つ親にも迫ります。

なぜなら、障害を持つ子供の親は、幼少期から成人期に至るまで専従的かつ献身的介助者としての役割を求められ、また経済的支援者としての役割も求められるからです。しかし、一般的な経済力の家庭であれば、これらを両立させることは困難です。経済的負担が改善されなければ、親もまた貧困になってしまうケースが増えているのです。

【我が子よりも1日だけ永く生きたい】

この言葉は、仕事につくことが難しい障害を持った子供の親の言葉です。

親なら誰もが、子供の行く末が心配になるのではないでしょうか。それは障害を持つ子供の親も例外ではなく、貧困を考えればより不安は大きいかもしれません。その不安を安心に変える要素の一つに就労があると思います。

しかし、障害によっては就労することが困難な子供もおり、その場合、人生の大部分を親に頼ることになります。当然、親の方が子供よりも早く高齢になるわけですが、もし、自分が先に死んだなら残された子供はどうなってしまうのか。その様なことを思うと、未練を残して先に逝くことは出来ないという親心から出た言葉なのでしょう。

【障害者は自己責任ではない】
障害者のいる家庭に負担が大きくのしかかる現状を、私達はどのように理解をしたら良いでしょうか。

まず、障害者やその家族は社会に対し何か犯罪や大きな過ちを犯したために、責任や罰を受け障害者となったわけではありません。障害者となる要因の多くは、親や本人が日々を過ごす社会環境の中にあるのです。

例ば、もし、空気や水、食糧が農薬や放射能などに汚染されていたなら。もし、過度なストレスが常態化した社会(悪政、紛争や戦争、ブラック企業、家庭内暴力、安全よりも経済成長を優先させた環境など)で生活するしか選ぶことができなかったなら、あなたは障害を持たずに人生を生き抜くことが出来るでしょうか。

むしろ、このような環境では障害者となるリスクが高くなるのは必然であり、また、障害の種類や人数は、今の社会環境が抱える問題を写す鏡ともいえるのです。

ですから、私が障害者は自己責任ではないと言う理由はそこにあります。

私達が暮らす社会環境の中には、誰もが障害者になり得る可能性があります。しかし、もし障害者となったとしても、障害による負担が一個人や一家族にのしかかり貧困となる状況は、決して無くしていかなくてはならないのではないでしょうか。

【法定雇用率 2.3%、世界は?】

現在、私達の国には、「障害者雇用促進法」という障害者の雇用に関する法律があることをご存知でしょうか。会社全体の労働者に対する障害者の割合(法定雇用率)を定めた法律であり、今現在(2022年)法定雇用率は2.3%と定められていますが、対象となる企業の達成率は47%2021年)となっています。

では、世界の法定雇用率はどうでしょうか。世界には同じように法定雇用率を定めている国が多くあります。

世界各国の法定雇用率は以下の通りです。

・イタリア(7%

・フランス(6%

・ドイツ(5%)

・オーストリア(4%

・韓国(2.7%

・中国(1.5%

・台湾(1%

実は、日本の法定雇用率2.3%は先進国の中でもとても低い値であることが分かります。

あれ?アメリカやイギリスは?と感じた方もへ多いと思いますが、実はアメリカ、イギリス、そして以下の国々等は、企業に対して障害者雇用義務を設けていません。

・ロシア

・スウェーデン

・デンマーク

・オーストリア

・シンガポール

・スウェーデンなど

その理由は、「雇用義務制度そのものがへ障害者への差別につながる」という考え方によるものです。そのため企業ではなく社会の大きな枠組みにより障害者雇用を進める仕組みがつくられてきました。

例えば、障害者に仕事に関連した困難があった場合、充実したサポートを行うことのできる支援組織が多く存在しており、支援組織が企業に変わりサポートを行うことで、障害者の抱える問題を解決へと導くだけではなく、企業側の負担を軽減する役割も担っています。

つまり、世界は「障害者雇用義務化」する国と「障害者雇用自体をあえて設けない」とする国のニ極化が進んでいます。しかし、どちらも前提として「障害者差別の禁止」と「合理的配慮義務」という考えが基本にあり、どちらの考え方が良い・悪いというものではありません。因みに、合理的配慮とは、「障害者が生活する際に、何らかの援助が必要な場合に、その原因となる障壁を取り払うために必要な変更や調整対応」のことをいいます。つまり、企業は障害者が仕事を行いやすい、必要な環境を整えなければならないということです。

私が気になる点は、他の先進国に比べ日本の法定雇用率はとても低いにもかかわらず、法定雇用率達成企業の割合は47%に留まっている点にあります。

【障害者の就労を妨げているもの】

そもそも、「障害者と共に働く」と聞くと、皆さんはどのような印象を持たれるでしょうか?

・障害者は仕事ができる印象がない

・仕事の質や効率が悪くなる

・全く想像することができない

・障害者が働ける環境を整えるための予算がない

・やりたくない

障害者と共に働くことについて、プラスに捉える方もいるとは思いますが、マイナスに感じる方が多いのではないでしょうか。しかし、障害者は何もかも出来ない存在ではありません。個々の特性にあった道具や環境を整えることができれば、仕事の内容や質、効率も格段に向上します。障害特性や仕事の内容によっては、健常者と遜色ない能力を発揮することも可能です。

ではなぜ、私達の社会は世界でも低い法定雇用率であるにも関わらず、達成企業率は50%にも満たない状況にあるのでしょうか?

日本の障害者の就労に対しブレーキをかけている原因の一つとして、私は日本人の全体主義的な意識が大きく影響しているのではないかと考えています。

その理由として、日本人の多くは、所属している組織が知識や能力など同じ基準を満たした人々の集団であることに重きをおき、そのことがあたかも商品やサービスの質、生産性や競争力などを保ち、更には組織の安定をもたらしていると信じ込んでいるように感じるからです。

しかし、日本よりも高い法定雇用率を定めた国は沢山あり、多くの障害者を雇用している海外の企業が、日本企業よりも優れた商品を供給していることはよくある話です。また、法定雇用率の低い国の企業が、有利なんてこともありません。障害者の雇用が、商品の品質や生産性、競争力に影響を与えるといったこと自体が、全くの幻想なのではないのでしょうか。

近年、日本国内においても障害者に対する合理的配慮の義務化が求められるようになり、企業が負う社会的責任も年々増えてきています。

では、障害者と健常者との差を埋める合理的配慮を、短い期間で最適化するためにはどの様なプロセスを踏めば良いのでしょうか。それを行うための最適な手段が、障害者と健常者が共に働くことだと考えるのです。

ただし、私が思う障害者と健常者が共に働く環境とは、障害者を多く集め企業グループ全体の法定雇用率を満たすためにつくられた特例子会社のような環境では有りません。

【特例子会社とは】

特例子会社は、障害のある方の雇用促進及び安定を図るために設立された会社ですが、特例子会社として国から認定を受けるには、被雇用者のうち20%以上が障害者でなくてはなりません。更に、企業グループ全体で国の定めた法定雇用率2.3%を満たすことが許されているため、特に大企業では、既存の職場環境に障害者の配置や設備投資を行わず、障害者の割合が多い特例子会社を新たに設立することで、法定雇用率を達成している事例も多いのです。

しかし、それでは障害者を特例子会社に集めただけであり、障害者と健常者との相互理解が深まることで起こるであろう好循環が、一部の限定的なもののみになってまうのは明白です。また、障害者の就労環境を限定したり、形にはめ込んでしまう就労は、障害者の人権や差別的な問題にもなりかねません。誰もが必要とされる1人として仕事に取り組むことの出来る新しい労働環境の創造が求められているのです。

【今あるテクノロジーでつくる新しい仕事環境】

この様な話になると、漠然とした理想論の様に感じる方も多いと思いますが、少し想像してほしいのです。

もし今、日本という国が既に持っている知識や技術、文化やテクノロジーを使い、障害者と健常者が共に働くことを前提とした労働環境を一から作り出したなら、どの様な職場ができるのでしょうか?それでも、障害者と働くことが難しい環境しか整わないでしょうか?

障害者と健常者が共に働くことは、人間としてとても大きな意味があると強く感じます。たとえ重度の障害者であっても本人に働く意思さえあれば、今あるテクノロジーを活用すれば、就労することは十分可能であると考えるのです。

【障害者と健常者が共に働くことで生まれるもの】

また、障害者の就労の必要性は、単に経済的な解決策といった意味合いだけではありません。健常者と同様に障害者にとっても仕事は社会との接点でもあります。「誰かの役に立っている」と感じられる瞬間は掛替えのないものであり、未来へ繋がる道を照らす希望の光そのものです。

また、仕事は、努力や目標、喜びや自信、そして生き甲斐など、より人生を豊かなものにするために必要な要素を育むことの出来る大切な機会でもあるのです。

障害者と健常者が共に働くことで、以下の様な効果があると私は考えます。

・障害者と健常者の認知や理解が生まれる

・障害者の貧困の解消

・障害者の情報の共有

・障害者の社会貢献

・障害者の納税による財源の増加

・障害者に向けた新しいビジネスの創造(障害者一人ひとりに合わせた道具、プランサポートなど)

・障害者の消費による経済効果

・障害者の利用を前提としたまちづくり(バリアフリー、ルールなど)

・障害者の家族の負担を軽減

・仕事を通して学ぶ社会通念や新しい価値観

etc…

このような環境は、障害者だけではなく障害のない人にとっても働きやすく、生活しやすい社会と言えるでしょう。もし、あなたや大切なご家族がある日突然障害者になったとしても、これからの生活が不安や孤立といった負の感情に苛まれる生活ではなく、希望と共に誰もが新しい生活へスタートを切ることが出来る社会こそ、これからの時代に求められる成熟した都市のかたちと考えるのです。

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