【人手不足の正体──「調整弁」にされる非正規雇用労働者と、私たちが問うべきこと】

2026年5月、大阪大学で長年働いてきた非常勤講師4人の雇い止め(やといどめ:有期契約の更新を企業や組織が拒否し、契約期間の満了をもって雇用を終わらせること)が無効であるとの判決が大阪高裁で下されました。原告らは10年以上にわたり授業を担当してきたにもかかわらず、無期雇用への転換を求めた途端、契約は打ち切られたのです。

この一件は、決して大学業界だけの特殊な話ではありません。日本の労働市場の根っこにある「使い捨ての構造」が、たまたま可視化された一例にすぎないと、私は受け止めています。本稿では、この問題を入口に、日本の雇用構造を貫く歪みを、データに即して読み解いていきます。

■「人手不足」ではなく「ミスマッチ」

近年、「人手不足」という言葉を聞かない日はありません。外国人労働者の受け入れ拡大、定年延長、AIによる省人化──あらゆる施策がこの言葉を旗印に進められています。しかし、本当に日本は「人が足りない」のでしょうか。

まず数字を確認します。2025年の有効求人倍率(求職者1人に対する求人件数の比率)は1.22倍で、2年連続の低下でした。物価高や最低賃金の引き上げを受け、企業が求人を控える動きが出ています。注目すべきは、2025年10月に正社員の有効求人倍率が0.99倍と、1.0倍を割り込んだことです。これは「正社員を希望する求職者1人に対し、正社員の求人が1件に満たない」状態を意味します。

一方、完全失業率は2.5%前後で推移し、失業者は約180万人います。つまり、人がいないのではありません。安定した正社員の椅子は奪い合いになる一方で、低賃金で募集される現場の仕事だけが埋まらない──問題の本質は「人手不足」ではなく「ミスマッチ」なのです。

■正規と非正規、埋まらない格差

このミスマッチの根底には、正規雇用と非正規雇用の深い溝があります。厚生労働省の最新調査(令和6年)によれば、フルタイムで働く労働者の月額所定内給与は、正社員が約34.9万円なのに対し、非正規は約23.3万円。正社員を100とすると非正規は66.9にとどまります。同じフルタイムで働いても、月給は約3分の2です。

さらに深刻なのは、この差が年齢とともに開いていくことです。正社員の賃金が20代から50代にかけて大きく上昇するのに対し、非正規はほぼ横ばいのまま。「非正規はキャリアの行き止まり」と言われるゆえんです。賞与や退職金を含めれば、生涯賃金の差は決定的なものになります。

非正規雇用は今や雇用者の約36.5%を占めます。かつて「約4割」と言われた水準からはやや下がったものの、依然として3人に1人強が、この不安定な立場に置かれています。冒頭に挙げた大阪大学の非常勤講師たちもまた、この「3人に1人」の側に位置づけられてきた人々です。

■なぜ、この構造は続くのか

ここで一つの疑問が浮かびます。企業は「人手不足だ」と言いながら、なぜ国内の非正規雇用労働者を正社員に登用したり、高齢者を再雇用したりするより先に、言葉も文化も異なる外国人労働者の受け入れに動くのでしょうか。

外国人労働者の多くが担うのは、賃金を上げてでも担い手を確保しようとはされてこなかった現場の仕事──介護、建設、農業、製造などです。応募が集まらないのは「人がいない」からではなく、その賃金水準では国内の労働者が集まらないから、というのが実情に近い。そこで企業は、賃金を上げる代わりに、より安価な労働力として外国人を受け入れる方向に動いてきました。国内非正規の正社員化は、育成と処遇のコストを企業が引き受ける話になります。後者の方が高くつく。だから前者が選ばれる──そういう力学が働いています。

そして見落としてはならないのが、この選択を国が後押ししている点です。外国人労働者の受け入れには助成制度が用意されています。赤字企業であっても消費税の納税義務は生じるため、体力のない企業ほど人件費の圧縮、すなわち安価な労働力へと向かわざるを得ません。「安い労働力という選択肢」が、制度として用意されているのです。

■「年収の壁」が示すもう一つの真実

労働力をめぐっては、もう一つ見過ごせない事実があります。パートやアルバイトで働く人々の「働き控え」です。所得税のかからない年収の上限を超えないよう、あえて労働時間を抑える──この「年収の壁」が、潜在的な労働力にフタをしてきました。

国もこれを問題視し、2025年の税制改正で所得税の壁を103万円から160万円へと、約30年ぶりに引き上げました。狙いは、上限を気にせず働ける環境を整えることです。控除額を上げれば働き控えは減る──この方向性は正しい。ただし社会保険料の壁は別に残り、配偶者手当の基準を据え置く企業も多く、壁が完全に消えたわけではありません。

ここで改めて問いたいのです。国内に失業者がいて、働きたくても壁に阻まれている人がいて、正社員になりたくてもなれない非正規雇用労働者がいる。これだけの潜在的な労働力がありながら、本当に「外国人を入れなければ立ち行かない」のでしょうか。やるべきことは、まだ他にあるはずです。

■労働者は「調整弁」ではない

ここまで見てきた構造を一言で表すなら、労働市場の二極化です。手厚く保護された正社員と、景気の波に応じて調整される非正規・外国人労働者。このまま進めば、安定した正規雇用は一種の「特権」となり、安価で不安定な労働を前提とする社会が固定化されかねません。

もちろん、これに抗う制度もあります。同一労働同一賃金、無期転換ルール(同じ企業で有期契約が通算5年を超えた労働者が、無期契約への転換を申し込める権利)、年収の壁の見直し──いずれも分断を埋めようとする試みです。冒頭の大阪大学の判決も、まさにこの無期転換ルールの趣旨を踏みにじる雇い止めに対して、司法が「ノー」を突きつけたものでした。現実は、分断を進める力と埋める力が綱引きをしている状態だと言えるでしょう。

しかし、私が最も問いたいのはその先です。企業が利益を追求すること自体は、資本主義において正しい。けれども、そのために労働者が辛酸をなめ、人が企業を存続させるための「調整弁」として扱われる社会は、どこかが間違っているのではないでしょうか。

企業は国民のためにあるのであって、国民が企業のためにあるのではない──私はそう考えます。人を数として、コストとして、調整の対象として見るまなざし。それは雇用の問題にとどまりません。少子化に歯止めがかからず、その対策が一向に本気にならない背景にも、同じまなざしが横たわっているように思えてなりません。子育てや教育を「投資」ではなく「コスト」と見なす限り、人への手当てはいつも後回しにされるのです。

数字は、社会の選択を映す鏡です。「人手不足」という言葉の裏側で、私たちは誰を、何を、どう扱おうとしているのか。その問いから、目をそらすべきではないと思います

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