最近、報道番組を見ていて気になることがあります。政治家や大企業の幹部、そして報道に携わるキャスターまでもが、日本語で言い表せる言葉をわざわざ英語のカタカナ語で話している場面があまりにも多く、違和感を覚えています。
■知らない言葉が当たり前に流れている
「エビデンス(根拠)」「アジェンダ(議題)」「ステークホルダー(利害関係者)」「サプライチェーン(供給網)」。こうした言葉は、どれも日本語に置き換えることができます。それにもかかわらず、説明もないまま当たり前のように使われています。
文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」(2006年度)でも、外来語の意味が分からないことがあると答える人は40代以上で目立ち、60歳以上で最も多いという結果が出ています。テレビの報道番組を最も熱心に見ているはずの世代に、最も伝わりにくい言葉が使われているのだとすれば、これは見過ごせない問題ではないでしょうか。
報道番組でよく耳にする、日本語で言い換えられるカタカナ語を分野別に集めてみました。皆さんはいくつ知っていますか?(→の後が言い換え例です)
〈政治・行政〉
* コンセンサス → 合意
* ガバナンス → 統治、管理体制
* コンプライアンス → 法令順守
* アカウンタビリティ → 説明責任
* スキーム → 枠組み、仕組み
* ロードマップ → 工程表
* マニフェスト → 政権公約
* パブリックコメント → 意見公募
* イニシアチブ → 主導権、率先
* プライオリティ → 優先順位
* レガシー → 遺産、功績
* フェーズ → 段階、局面
〈経済・ビジネス〉
* インバウンド → 訪日外国人(旅行)
* イノベーション → 技術革新
* ソリューション → 解決策
* コミット → 約束、責任を持つ
* インセンティブ → 報奨金、成果報酬、動機付け
* リスキリング → 学び直し
* サステナブル → 持続可能な
* ダイバーシティ → 多様性
* インクルージョン → 包摂
* スタートアップ → 新興企業
* ベンチマーク → 指標、基準
* ボトルネック → 障害、制約
* リソース → 資源、人員
* シナジー → 相乗効果
* マネタイズ → 収益化
〈社会・医療・災害〉
* パンデミック → 世界的大流行
* クラスター → 感染者集団
* オーバーシュート → 爆発的患者急増
* ロックダウン → 都市封鎖
* ソーシャルディスタンス → 対人距離の確保
* ワクチンハラスメント(ワクハラ)→ 接種の強要
* トリアージ → 治療優先順位の判定
* ライフライン → 生活基盤(電気・ガス・水道など)
* セーフティネット → 安全網、救済制度
* ヤングケアラー → 家族の世話を担う子ども
〈IT・テクノロジー〉
* DX(デジタルトランスフォーメーション)→ デジタル化による変革
* インシデント → 事案、出来事
〈番組の言い回し〉
* ファクトチェック → 事実確認
* スタンス → 立場、姿勢
* ポテンシャル → 潜在力
* ペンディング → 保留
* キーパーソン → 重要人物
参考までに、国立国語研究所が2002〜2006年に「『外来語』言い換え提案」として176語を公表しています。官公庁や報道機関での分かりにくいカタカナ語を減らす目的で、上の「アカウンタビリティ→説明責任」などもこれに含まれています。
■外来語そのものが悪いわけではない
私は、外来語を使うこと自体を否定するつもりはありません。日本語はもともと、漢語を取り入れ、明治期には「社会」「経済」「自由」といった訳語を生み出しながら、外から入った言葉を自分のものにしてきました。広く定着した言葉や、英語のほうが分かりやすい言葉、また一般の人が言葉遊びや流行として使う英語は、言葉の自然な変化として受け止めてよいと思います。
■報道機関には日本語を守る責任がある
しかし、報道は違います。報道の目的は、正確な情報を、すべての人に分かる言葉で届けることにあるはずです。ラジオやテレビが全国に共通語を広めてきたように、報道機関はもともと「日本語の手本」としての役割を担ってきました。その報道が、日本語で説明できる言葉を難解なカタカナ語のまま流し続ければ、視聴者との間に情報の格差が生まれ、手本としての役割も失われていきます。また、カタカナ語には、日本語にすれば明確になるはずの責任や中身を、どこか曖昧にしてしまう働きもあるように思います。
■まとめ
すべてのカタカナ語を日本語に言い換える必要はありません。ただ、それは使う側も聞く側も、その言葉の意味を正しく知っていることが前提です。意味の伝わらない言葉で語られた報道は、どれほど大切な内容であっても、人々に正確には届きません。言葉を選ぶことは、聞き手への敬意を示すことでもあるはずです。
言葉は、歴史や文化、そこに生きた人々の感覚や願いが形になったものです。だからこそ、日本語で言える言葉を大切にすることは、私たちの文化を大切にすることにもつながります。受け継いできた日本語を次の世代へどう手渡していくのか。報道に携わる人々にも、そして私たち自身にも、問われているのではないでしょうか。