【論考 片瀬・鵠沼の砂浜はなぜ消えるのか】

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        相模湾沿岸の海岸侵食問題

      ── 原因の構造と解決への展望 ──

      地形・流砂系・利権構造から読み解く

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■ 序章 消えゆく砂浜という現実

神奈川県の相模湾に面した海水浴場では、海岸浸食によって砂浜が年々狭くなっている。地元である藤沢市の海岸も例外ではない。失われた砂を補うため、毎年大量の砂を人工的に持ち込む「養浜」が繰り返されている。しかしこの問題は、単なる自然現象ではない。

昭和53年から平成4年頃までの約15年間における日本全国の砂浜面積の減少速度は、年間およそ160ヘクタールに達した。これは東京ドーム約34個分に相当する。この状況が30年間続けば、東京都三宅島と同面積の約6,000ヘクタールの砂浜が消滅する計算になる。海岸侵食は局地的な現象ではなく、日本列島全体で進行する構造的危機である。

そして相模湾沿岸の侵食は、その中でも特異な深刻さを持つ。なぜならここには、地形的脆弱性・砂の供給源の遮断・砂丘の消失・漁港の乱立・消波ブロックの誤用という、すべての悪条件が重なっているからである。これは自然災害ではなく、人災である。本稿はその構造を解明し、解決への道筋を提示する試みである。

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■ 第一章 相模湾という特殊な海

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【一 外洋に開かれたU字型の湾】

相模湾は神奈川県の南部に位置し、東を三浦半島、西を伊豆半島に挟まれて太平洋に向けて大きく開いた湾である。閉じた湾と異なり外洋からの波浪エネルギーが直接湾内に到達するため、砂を沖へ押し出す力が構造的に強い。

北西の小田原市から西の部分では海岸から急傾斜で深くなっており、沖合わずか0.5〜1キロメートルで水深100メートルに達する。湾全体の特徴として、駿河湾・富山湾と並んで水深1,000メートル以上を持つ日本列島でも特異な湾であり、平塚から小田原にかけての海岸には大陸棚がほとんど存在しない。砂が浅海域で循環できる時間と空間が、根本的に限られているのである。

【二 相模トラフという深淵】

相模湾を特殊たらしめる最大の地形が、湾の中央を貫く相模トラフである。これは水深1,000メートルを超える舟状海盆であり、最深部は約1,600メートルに達する。日本三大トラフの一つに数えられ、フィリピン海プレートが北米プレートの下に沈み込んでいるプレート境界そのものである。

流砂系の観点から見れば、相模トラフは砂の「最終処分場」である。沿岸から流出した砂が深海に落ち込めば、二度と浅海域には戻らない。他の湾であれば沖に出た砂が波浪によって浜に還元される可能性があるが、相模湾ではこの還元経路が地形的に閉ざされている。

さらに相模川の南側延長上には平塚海底谷が存在し、谷の肩部は沖合約2キロメートルで水深100メートルに達する。片瀬海岸付近にも海底谷が存在する。これらの海底谷は、沿岸から相模トラフへ砂を輸送する「パイプ」として機能する。砂は地形に従って深海へ吸い込まれていくのである。

【三 限られた砂の供給源】

相模湾に砂を供給する主要河川は相模川・酒匂川であるが、これらは中部山岳地帯を源とする他県の大河川と比較して、山から海までの距離が短く流域面積も限られている。供給できる砂の絶対量に上限がある。

つまり相模湾は、地形的に「砂が入りにくく、出やすく、戻らない」という三重の脆弱性を抱えた湾である。人間が介入する以前から、砂浜の維持は他の海岸より構造的に困難な場所だった。そこに近代以降の開発が重なったとき、何が起きたのか。次章以降で詳しく見ていく。

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■ 第二章 砂の供給を断ち切ったダム建設

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【一 砂浜は河川がつくる】

砂浜の砂は天から降ってくるわけではない。山の岩が風化し、河川によって運ばれ、河口から海に放出され、沿岸の波と流れによって分配されたものである。砂浜は河川の延長であり、流域全体の地質活動の最終産物なのである。

この供給システムを「流砂系」と呼ぶ。山から海までを一つのシステムとして捉え、土砂の生産・輸送・堆積・流出の全過程を含む概念である。流砂系のどこか一点でも遮断されれば、最終受益者である海岸はその影響を必ず受ける。

【二 相模川のダム群】

相模川には戦後、相模ダム(1947年完成)と城山ダム(1964年完成)という二つの大きな多目的ダムが建設された。首都圏の水需要・電力需要に応えるための国家事業であり、その合理性は当時の文脈では揺るぎないものだった。

しかしダムは水と同時に土砂をも止める。ダムによって貯水池の底に堆積した土砂は、下流に届かない。海岸線への砂の供給は劇的に減少した。神奈川県・国・山梨県が共同で策定した『相模川流砂系総合土砂管理計画』は、まさにこの問題への公的な認識を示すものである。同計画は「ダムなどにおいて、土砂の堆積が進む一方、河川や海岸においては、昭和30年代までに行われた砂利採取の影響もあり、河床の局所的な低下や砂浜の侵食など、様々な課題が顕在化してきた」と明言している。

そして茅ヶ崎海岸(柳島地区)の侵食は、この計画の中で「流砂系における総合土砂管理の重点課題」として明確に位置づけられている。問題は認識されている。にもかかわらず、解決には至っていない。

【三 砂利採取という追い打ち】

ダムによる供給遮断に加えて、もう一つの深刻な砂の流出があった。それは昭和30年代までに大規模に行われた、河川での砂利採取である。高度経済成長期の建設需要を支えるため、河床から大量の砂利が抜き取られた。

ダムが上流から砂を止め、人間が下流で砂を抜き取った。海岸に届く砂は、上下から挟み撃ちで失われた。砂浜の侵食は、この時点で既に運命づけられていたといってよい。

【四 ダムを撤去すれば回復するのか】

もし仮に、すべてのダムが撤去され、ダム以前と同じ量の砂が河川に流出するようになったとしたら、海岸侵食は止まるのか。答えは否である。

第一に、戦後数十年にわたって失われた砂は、相模トラフに沈み、もはや回収不能である。砂浜の「借金」が膨大に積み上がっており、供給回復は返済の一部にしかならない。第二に、流域の都市化によって河川の土砂生産能力そのものが永続的に低下している。舗装された市街地、護岸整備された河岸、これらは元に戻らない。第三に、後述する漁港の突堤や消波ブロックが、上流から届いた砂の沿岸方向への移動を遮断し続ける。第四に、気候変動による海面上昇が、供給量とは無関係に浜を後退させる。

ダムは原因の一つに過ぎない。海岸侵食は流砂系全体の問題であり、単一の対策に還元できない。これを理解することが、この問題を考える出発点である。

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■ 第三章 相模川河口の機能不全

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【一 河口は砂の配送拠点である】

ダムをかいくぐって河川を流れ下ってきた砂は、河口で海に放出される。河口は砂の「最後の配送拠点」であり、本来はそこから沿岸漂砂によって左右の海岸へ分配されていく。

自然の河口は固定されていない。緩やかに左右に移動しながら、広範囲に砂を供給する。ところが相模川河口は、護岸と導流堤によって人工的に固定されている。砂の放出が一点集中となり、沿岸への分配効率が著しく低下している。

【二 浚渫という対症療法】

河口には砂州が形成される。砂州が発達すると河川の流下能力が低下するため、定期的な浚渫が行われる。実際、相模湾沿岸の引地川河口部では、平成30年以来およそ4年ぶりに浚渫作業が行われた事例があり、その砂は片瀬西浜海岸の養浜に使用された。

しかし長年にわたって川底に堆積した土砂はコンクリート片やガラス破片、ヘドロを含み、養浜にも建設資材にも適さず廃棄残土として内陸部に搬出される場合もある。砂が河口に溜まっては人為的に除去されるという繰り返しによって、自然な供給サイクルが断ち切られている。

【三 漂砂の流れと河口の方向】

相模湾の沿岸漂砂は、概ね西から東へ流れる傾向がある。片瀬・鵠沼海岸は相模川河口の東側に位置するが、河口から放出された砂が効率よくこの方向に運ばれるかは地形と流向次第である。河口の向きや導流堤の構造によっては、砂が沖方向に流れてしまい、海岸まで届かない可能性も否定できない。

上流のダムで砂が減り、河口でその残り少ない砂すら適切に分配できない。この二重の機能不全が、片瀬・鵠沼の海岸侵食を構造的に深刻にしている。

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■ 第四章 湘南砂丘という失われた資産

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【一 近代以前の湘南は砂丘地帯だった】

現在の片瀬・鵠沼・辻堂・茅ヶ崎にかけての一帯は、近代以前は「湘南砂丘地帯」と呼ばれる広大な海岸砂丘地域だった。鵠沼地区の中央に伸びる北東-南西方向の砂丘は海抜25メートルに達し、地元では「新田山」と呼ばれていた。風の吹き寄せによって特に高くなった砂丘は「高砂(たかすな)」と呼ばれ、藤沢駅南方の江ノ電沿いには「高砂」を地名とする停留所(現・石上駅)まで存在した。

砂丘の方向は鉄道や道路の方向、地割りや建築物の方向、耕地の畝の方向にまで影響を与えていた。砂丘列の南部には所有者の名前や植生から「高松山」「斎藤山」「バラ山」、高値で売れることから「百両山」などと呼ばれる砂丘が連なっていた。湘南は、文字通り砂の丘の上に成り立っていた土地だったのである。

【二 砂丘は砂の銀行だった】

湘南砂丘は単なる地形ではなく、砂の巨大なバッファ(緩衝貯蔵庫)として機能していた。荒天時には砂丘から砂が削られて浜に供給される。穏やかな時期には浜から砂が風で砂丘に戻る。この季節的・長期的な循環によって、海岸全体の砂のバランスが維持されていた。

加えて砂丘は自然の防潮堤としても機能していた。高波や台風時の波が砂丘に吸収され、海岸線が容易に後退せず、背後の土地への浸水を防いだ。1923年の大正関東地震では、津波が引地川沿いに逆流して鵠沼海岸の家屋を流失させたが、砂丘があった一丁目付近では家屋への津波被害がなかったと記録されている。砂丘は地震・津波に対しても防御機能を持っていたのである。

【三 砂丘の消失】

湘南砂丘は、近代以降の開発によって段階的に消失していった。明治20年(1887年)の東海道本線「藤沢駅」開設前後から開発が始まり、当初は皇族・政治家・事業家の別荘地として、その後は住宅地として、砂丘地帯が宅地化されていった。

特に大正末期から昭和初期にかけて、子爵大給家らによる別荘分譲、関東大震災後の人口流入、1929年(昭和4年)の小田急江ノ島線開通による交通利便性の向上が重なり、砂丘地帯の宅地開発が一気に進んだ。砂丘そのものが、建設用の砂として、また宅地を平らにする土取り場として、文字通り「持ち去られた」部分もあった。

何千年もかけて蓄積された地形的資産が、わずか数十年で消費された。砂丘という「砂の銀行」が潰されたとき、海岸線は補填の手段を失った。河川からの収入が減ったときに貯蓄で補うという仕組みそのものが消えたのである。

【四 砂丘消失と海岸侵食の連動】

砂丘の消失は海岸侵食と直接的に連動している。第一に、砂のバッファ機能が失われた。第二に、砂丘跡地に建設された市街地と護岸により、海岸線が固定された。本来は柔軟に前後する海岸線が動けなくなり、波のエネルギーが逃げ場を失って浜の砂だけが集中的に削られる「反射侵食」が起きる。第三に、風によって浜と砂丘の間で砂を循環させる経路が断絶された。

湘南砂丘の消失は、ダムによる土砂供給減少と同等か、それ以上に深刻な原因だった可能性がある。皮肉なことに、砂丘を潰して建てた街を守るために、毎年莫大なコストをかけて砂を運び続けるという構造的矛盾が現在も続いている。

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■ 第五章 漁港の乱立と漂砂の遮断

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【一 沿岸漂砂という横の流れ】

河口から放出された砂は、沿岸漂砂によって海岸線に沿って横方向へ運ばれる。これは波が斜めに海岸に打ち寄せる際の作用と、海岸線に平行に流れる沿岸流によって生じる。砂浜は河川からの「縦の供給」だけでなく、漂砂による「横の分配」によっても成り立っている。

【二 突堤という壁】

沖へ突き出した漁港の防波堤や突堤は、この漂砂の流れを物理的に遮断する。突堤の上流側に砂が堆積し、下流側が侵食される。「突堤効果」と呼ばれる現象であり、片側が肥えれば片側が痩せるという極めて不均衡な結果を生む。

片瀬・鵠沼周辺には、片瀬漁港、腰越漁港、茅ヶ崎漁港、平塚漁港、さらに江の島周辺の漁港・ヨットハーバー・橋梁構造物が連続して並んでいる。江の島はかつて本来の島だったが、現在は陸繋島となり、江の島大橋・弁天橋・周辺の港湾構造物が複合的に漂砂を遮断している。

【三 港はどこに作られるべきか】

世界の歴史を見れば、良港は地形が港を求めている場所に発達した。岬の陰、自然の入り江、湾奥、河口域。波浪から遮蔽され、漂砂の主流から外れた場所が、自然に港となった。ロンドンのテムズ川、ハンブルクのエルベ川、ニューヨークのハドソン川、大阪の淀川河口、いずれも大河川の河口域に発達した港湾都市である。

ところが近代以降、コンクリート技術と国家補助事業の組み合わせが「どこにでも港を作れる」という錯覚を生んだ。地形の制約を技術で克服できると考えた結果、地形の論理に逆らった場所に港が乱立した。

【四 行政区画の論理】

港の配置は、地形の論理ではなく、自治体と漁業組合の論理によって決まってきた。各自治体が港湾整備の補助金を獲得することが目的化し、漁業組合の縄張りが港の場所を規定した。沿岸を持つ自治体には必ず一つ漁港がある、というような均等配分の発想が、海岸の流砂系を破壊した。

もし地形的に適した場所にのみ港を集約するならば、漁業組合の広域再編が論理的必然となる。しかし漁業権は財産権に準じる強固な権利として保護されており、組合の統廃合は強烈な抵抗を生む。地方議員にとって漁業組合は重要な票田であり、改革を推進する政治家は地元の支持基盤を失うリスクを負う。

一方で、漁業者の高齢化と後継者不足は深刻に進行しており、自然消滅的な再編が事実上進みつつある。問題は、その再編が港の適正配置や海岸環境の回復と連動して設計されるかどうかである。誰も全体を設計しないまま個別の問題だけが積み上がっていく――これは海岸侵食問題そのものと同じ構造を持つ、より大きな制度的問題である。

【五 河川港という選択肢】

沿岸に突堤を作らずに港を確保する方法は存在する。河川港である。近代以前、相模川流域にも河川舟運と河川港が存在し、上流域からの物資を船で下す物流が機能していた。

河川港の最大の利点は、海岸漂砂への影響がゼロであることだ。沿岸に突き出る防波堤が存在しないため、漂砂の流れを一切遮断しない。さらに河川が自然の防波堤となり、外洋の波浪から遮蔽された静穏な水面が確保される。港の維持浚渫で出た土砂を下流・河口の養浜に活用するという循環設計も可能である。

もちろん洪水時の安全確保、土砂堆積への対応、水深の限界(大型船は不可)などの課題はある。しかし水利権・ダム管理との調整を含めて制度設計が整えば、現代でも十分に成立する選択肢である。技術的には可能だが、再び制度・既得権益・政治がそれを阻んでいる。

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■ 第六章 消波ブロックという誤った解答

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【一 設置の論理】

海岸侵食への対策として、沖合に消波ブロックが大量に設置されてきた。設置の論理は単純である。波のエネルギーを沖で減衰させ、浜に届く波を弱め、砂の流出を防ぐ。理論上は確かに波浪エネルギーの減衰効果は存在する。

しかし現実は、この単純な論理を裏切る。消波ブロックは海岸侵食を防ぐどころか、長期的には加速させている可能性が高い。

【二 砂の還元機能をも奪う】

波は砂を奪うだけでなく、沖の砂を浜に戻す力も持っている。消波ブロックが波を弱めることは、この砂の還元機能をも同時に失わせる。短期的には侵食が止まったように見えても、長期的には砂の循環自体が死ぬ。

【三 粒子スケールの非親和性】

砂と消波ブロックは、粒子のスケールが根本的に異なる。砂は粒径0.1〜0.5ミリメートル、可動性が高く流れに従う。消波ブロックは数トン規模で固定され、流れに抵抗する。

この境界面では常に乱水流が発生する。滑らかな砂浜では波のエネルギーが面全体に分散されるが、消波ブロックの凹凸は流れを局所的に加速し攪拌する。この乱水流が常時、砂を巻き上げて流出させている。

【四 堰き止めと集中噴出のメカニズム】

ここで最も見落とされている深刻な問題を指摘しなければならない。波が高く何度も押し寄せる状況では、海岸と消波ブロックの間に大量の海水が溜まる。消波ブロックが、沖へ帰ろうとする海水を堰き止めている状態になるのである。

堰き止められた海水は沖へ戻る道を探し、横方向へ移動する。そして消波ブロックの切れ目から一気に沖へ戻る。大量の海水が狭い切れ目を通過するため、流れの速度は極めて速くなり、海底の砂を強力に巻き上げる。これは離岸流の発生メカニズムそのものである。

つまり消波ブロックは、穏やかな海では砂を僅かに溜めるかもしれないが、海が荒れた場合には毎回、離岸流による砂の組織的流出を引き起こす。そして相模湾の場合、その流出した砂は急峻な海底地形を経て相模トラフへ吸い込まれ、二度と戻らない。

収支がプラスになる条件が、構造的に存在しないのである。

【五 目に見える対策というアリバイ】

これだけの問題があるにもかかわらず、消波ブロックは設置され続けている。それはコンクリートの巨大な構造物が、住民に対する「目に見える対策」として機能するからである。何かをしているという事実が、効果の有無よりも優先される。

欧米では1990年代以降、消波ブロック・護岸への依存から脱却し、構造物の撤去・砂浜の自然回復・流砂系全体の管理へと政策が転換している。日本では逆に、コンクリート構造物への依存が深まっており、世界の潮流と逆行している。これは建設業界と官僚機構の利益構造と切り離せない問題である。

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■ 第七章 これは人災である

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【一 原因の連鎖は利権の連鎖】

これまで見てきた原因をすべて並べてみよう。ダム建設は水利権と建設業の利益となった。湘南砂丘の開発は不動産と宅地造成の利益となった。漁港の乱立は建設補助金と漁業権の利益となった。消波ブロックの設置はコンクリート建設業の永続的な需要を生んだ。そして失われた砂を補う養浜事業は、砂の採取・運搬業者の継続的な収入源となっている。

すべてのフェーズに利権が存在し、すべてのフェーズで自然の論理より経済的利益が優先された。これは偶然ではない。

【二 破壊と補修の永久機関】

最も悪質な構造はこれである。破壊する段階で利権が生まれ、破壊の結果として問題が起きると、対策に新たな利権が生まれる。そしてその対策が新たな破壊を生み、さらなる対策に利権が生まれる。

海岸が健全であれば、誰も儲からない。逆に海岸が侵食され続ければ、養浜・消波ブロック・護岸補修・調査研究のすべてに予算が流れ、関係者の生活が成り立つ。問題が解決しないことこそが、関係者の利益を保証する構造なのである。

【三 予見可能性と回避可能性】

自然災害と人災を分ける基準は、予見可能性と回避可能性である。海岸侵食の原因は、工学的に予見できていた。ダムを作れば土砂が止まることは建設時から分かっていた。砂丘を潰せば緩衝機能が失われることも分かっていた。消波ブロックの副作用も、専門家からは繰り返し指摘されていた。

知りながら、あるいは知ろうとせずに、利益のために選択し続けた結果が現在の状況である。これを自然災害と呼ぶことはできない。これは人災である。

【四 時間軸の根本的な不一致】

この人災の構造を、より深く突き詰めればこういうことになる。自然の時間軸、政治の時間軸、資本の時間軸が根本的に一致していないのである。

砂丘が形成されるには何千年もかかる。砂浜の流砂系が安定するには数百年単位の時間が必要である。一方、政治の時間軸は選挙サイクルの4〜8年であり、資本の時間軸は四半期や単年度決算である。短期的利益を優先する制度が、長期的な自然の蓄積を消費し続ける構造になっている。

自然が何千年かけて作ったものを、人間が数十年で消費し、さらに数十年かけて破壊の対策に莫大な費用をかけ続ける。この構造を変えるには、短期的利益を優先する人間の制度そのものを問い直す必要がある。

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■ 第八章 数字が語る代償――累積する公的負担

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【一 国レベルで投じられる海岸関連予算】

海岸侵食を放置することの経済的代償は、抽象的な議論ではない。数字で具体的に把握できる。

国土交通省と農林水産省が共同で計上する「海岸保全施設の整備や耐震化等による防災・減災対策の推進」予算は、令和7年度に約484億円の内数、令和6年度約403億円の内数、令和5年度約403億円の内数で推移している。これに補正予算230億円規模が加わる。

ただしこの予算には津波・高潮対策・耐震化・老朽化対策も含まれているため、純粋な侵食対策費はこの一部である。さらに国土交通省港湾局関係予算では、地震・津波・高潮・侵食災害に備えた港湾海岸の整備として国費1,157億円規模(令和5年度)が計上されている。

加えて、ダムから海岸までを含む「総合的な土砂管理の推進」では、年間約1兆円の内数が計上されており、ダムの土砂バイパス・海岸への砂還元・離岸堤などの枠組みがここに含まれる。

実質的な「侵食対策」関連の年間支出は、各種交付金や自治体負担も含めれば、保守的に見ても年間数百億円規模、広く取れば1,000億円超の公費が継続的に投入されている。

【二 神奈川県と相模湾沿岸の実態】

神奈川県は『相模湾沿岸海岸侵食対策計画』(平成23年策定・令和3年改定)に基づき、養浜を主体とした侵食対策を実施している。実施されている主な養浜量は以下の通りである。

茅ヶ崎中海岸地区には相模ダム堆積土砂を活用して年間30,000立方メートル、茅ヶ崎漁港西側からは年間14,000立方メートル、柳島地区には年間5,000立方メートル、菱沼地区・浜須賀地区には年間10,000立方メートルが投入されている。茅ヶ崎周辺だけで合計年間約60,000立方メートルの養浜が継続されている。

これに片瀬西浜の養浜(引地川河口の浚渫土砂を活用)、逗子海岸の養浜事業、葉山海岸・長井海岸の護岸補強・消波ブロック工事などが加わる。

養浜事業の費用は、砂の調達・運搬・敷き均しを含めて1立方メートルあたりおおむね5,000〜15,000円が相場である。これに当てはめると、茅ヶ崎周辺の養浜事業だけで年間3〜9億円規模、相模湾沿岸全体(藤沢・大磯・二宮・小田原を含む)では、養浜・護岸補修・消波ブロック維持を合わせて年間10〜30億円程度に上ると推定される。

海岸保全事業は通常、国費が事業費の2分の1から3分の2を補助する。『社会資本整備総合交付金』や『防災・安全交付金』を通じて神奈川県に流れ、県と市町村が残りを負担する構造である。つまり相模湾沿岸の侵食対策には、国費・神奈川県費・市町村費(茅ヶ崎市・藤沢市・平塚市など)・関連自治体の独自事業費が重層的に投じられている。

総合的に見れば、相模湾沿岸の海岸関連事業は、神奈川県・市町村・国費を合わせて年間30億円から50億円規模が経常的に投入されていると推定される。

【三 累積する負担という視点】

しかし真に深刻なのは、これが「毎年経常的に発生する支出」であるという事実である。一度きりの投資ではなく、永続的な負担なのである。

しかも

第一に、投入された砂は数年で流出してしまう。来年もまた同じ量を補充しなければならない。

第二に、養浜量は年々増加傾向にある。失われる砂の量が、補充量を上回り続けている。

第三に、護岸・消波ブロックの老朽化対策費が今後さらに膨らむ。すでに設置された構造物の維持・更新コストが時間とともに加速する。

第四に、気候変動による海面上昇で必要量がさらに増える。これは予測可能な確実な増加要因である。

神奈川県の海岸線約430キロメートルを「現状のまま」維持し続けるだけで、今後50年間で総額1,000億円超のオーダーの公費が必要になる計算である。そしてその費用の出所は、最終的には県民・国民の税金である。

【四 二次的・三次的影響による負担の累積】

しかも直接的な海岸保全費はあくまで氷山の一角に過ぎない。海岸侵食を放置すれば、その影響は二次的・三次的に広がり、別の費目で公的負担が発生する。

第一の二次的負担として、背後地の防護コストがある。砂浜が消えて波が直接護岸を叩くようになれば、護岸自体の補強・嵩上げが必要になる。平成19年の高波では茅ヶ崎海岸背後の国道134号自転車歩行者道が被災した。同様の被害は西湘バイパスや国道135号でも繰り返し発生しており、道路・鉄道・ライフラインの被害復旧費が継続的に発生している。

第二の二次的負担として、災害リスクの増大がある。砂浜と砂丘は本来、津波・高潮の自然の緩衝帯であった。これが失われれば、想定される浸水被害は拡大する。すなわち防潮堤の整備費・住民の避難施設・ハザードマップの更新・防災教育費といった付随コストが膨らむ。

第三の二次的負担として、経済的損失がある。湘南は観光・海水浴が地域経済の基盤である。砂浜が消えれば海水浴客が減り、宿泊・飲食・小売業の売上が減少する。地域の雇用と税収が痩せ、自治体財政がさらに圧迫される。

第四の三次的負担として、生態系破壊に伴うコストがある。砂浜と海岸生態系の喪失は、地曳網漁・沿岸漁業の漁獲を減らし、漁業補助金や漁業者支援の財政負担を生む。生物多様性の劣化は、修復事業のコストを長期的に発生させる。

第五の三次的負担として、社会的・文化的な損失がある。これは金額に換算しにくいが、湘南という地域の文化的アイデンティティそのものが失われていくことは、観光ブランド価値の毀損として確実に経済的影響を持つ。

【五 累積すれば莫大な金額になる】

これらすべてを累計すれば、相模湾沿岸の海岸侵食を放置した場合に発生する公的・社会的負担は、単年度で見えている数十億円規模の養浜費用をはるかに超える。

直接的な海岸保全費、護岸・道路の被災復旧費、防潮堤の追加整備費、観光業の減収による税収減、漁業補助金、生態系修復費。これらを50年スパンで累計すれば、神奈川県だけで容易に数千億円のオーダーに達する。さらに気候変動による海面上昇が進めば、この見積もりすら過小評価になる。

養浜事業や消波ブロックの設置は「目先のコスト」だけが議会で議論される。しかし放置すれば、二次的・三次的な負担が雪だるま式に積み上がり、最終的な総コストは桁違いに膨れ上がる。

つまり海岸侵食の問題は「対策に金がかかる」のではない。「放置すればさらに金がかかる」のである。しかも放置のコストは、現役世代ではなく次世代・次々世代に転嫁される。

これは典型的な世代間負担の付け替えであり、人災の構造をさらに深刻化させる側面である。今、流砂系全体を見通した抜本的な再設計に踏み出すことの経済的合理性は、こうした累積負担の視点を加えれば、もはや疑いようがない。

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■ 第九章 解決への構想

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【一 海藻の森による砂定着】

コンクリートで波を止めるのではなく、生命によって海岸を守るという発想がある。砂浜の沖合に海藻の森――昆布やワカメや大型海藻の群落――を人工的に形成し、波浪を緩やかに減衰させながら砂を定着させる方法である。

海藻の葉体・茎は流れに対する柔軟な抵抗となり、波のエネルギーを吸収・分散する。流速が低下することで砂が懸濁状態を保てなくなり、海底に沈降・定着する。海藻の根茎が堆積した砂を物理的に固定する。消波ブロックとは異なり乱水流を生みにくく、砂を巻き上げる力が構造的に弱い。

さらに藻場は魚類・甲殻類の生息域として機能し、漁業資源の回復をもたらす。水質浄化や水中の炭素固定(ブルーカーボン)にも貢献する。実際に環境省や国土交通省は、藻場の保全・創出を二酸化炭素吸収源対策の重要施策として位置づけ、神奈川県沿岸でも複数のブルーカーボン関連プロジェクトが進められている。

ただし課題もある。海藻の仮根を固定する岩礁基質が必要であり、砂地には直接定着できない。また相模湾沿岸では「磯焼け」と呼ばれる海藻消失現象が深刻化しており、これにはウニの異常増殖、水温上昇、栄養塩の減少が関係している。藻場再生は磯焼け対策と一体で進める必要がある。

【二 透過型杭列による砂流出抑制】

もう一つ、より大胆な構想がある。片瀬海底谷や相模トラフが始まる大陸棚の縁部、概ね水深50メートル付近に、岩盤まで到達する杭を複数列配置する。砂が深海へ流出する速度を抑える「海中砂防」である。

ここで重要なのは、消波ブロックのような不透過型の壁ではなく、海水は通過できる透過型の杭列とすることである。壁状の構造物は海水を堰き止め、ブロックの切れ目から集中噴出する離岸流を生み、結果として砂を深海へ送る。これは消波ブロックの失敗から得られた教訓である。

適切な間隔の杭列であれば、海水は通過しながらも流速が低下し、砂が杭列の手前・周囲に沈降して堆積する。これは陸上の砂防工学における「透過型砂防ダム」と同じ原理であり、不透過型より効果的な場合が多いことが証明されている。複数列を段階的に配置すれば、砂を段々畑のように捕捉しながら深海への流出速度を低下させることができる。

水深50メートル付近は、波浪が砂を浜に還元できる浅海系と、深海系との境界域である。ここに介入することは、流砂系の制御として最も効果的な地点を選ぶことになる。岩盤まで固定するのは、洗掘によって杭が倒れることを防ぐためである。水深50メートルへの杭打ち技術は、洋上風力発電の急速な普及によって既に実用段階にある。

【三 杭列と海藻の森の統合】

最も興味深いのは、この二つの構想を統合できることである。岩盤に固定された杭は、それ自体が海藻の付着基質となる。杭の周囲に海藻の森が自然発生的に形成され、海藻がさらに流速を低下させ、砂の捕捉効率が上がる。海藻の根茎は堆積した砂を固定し、生態系が自己強化的に発展する。

無機的な構造物が有機的な生態系の骨格となる。コンクリートで自然を止めるのではなく、人工物が自然の働きを助ける足場となる。これは消波ブロックとは根本的に異なる設計思想である。

【四 流砂系全体の統合的設計】

いかなる単一の対策も、流砂系全体の問題を解決できない。真の解決には、複数の介入を全体として設計することが必要である。

第一に、ダムの土砂バイパス・フラッシュ放流による供給回復。第二に、漁港の地形適地への集約と漁業組合の広域再編。第三に、消波ブロックの段階的撤去。第四に、河川港への転換。第五に、海藻の森の形成。第六に、透過型杭列による深海流出抑制。これらを流砂系全体の設計として統合し、山から海底キャニオンまでを一つのシステムとして管理する広域的な行政が不可欠である。

現在の縦割り行政では、これは実現困難である。河川は国土交通省、海岸は別の部局、漁港は水産庁、生態系は環境省、それぞれが個別の論理で動いている。流砂系という横断的な概念を実装する組織と権限が、日本の行政には存在していない。

【五 すでに動き始めた制度】

ただし希望もある。神奈川県・国・山梨県による『相模川流砂系総合土砂管理計画』は、まさにこの横断的管理を目指した最初の制度的試みである。土砂発生域、ダム、河道域、河口・海岸域の関係者が連携し、各領域の特性を踏まえた総合的な土砂管理を推進するという理念が、公式に掲げられている。

理念は存在する。あとはそれを実効化する政治的意志と、利権構造を越えて全体最適を設計する力である。これは1人の専門家や1つの自治体では成し遂げられない、社会全体の課題である。

【六 投資対効果の逆転】

ここで第八章で示した累積負担の視点に立ち返れば、解決策への投資は、単なるコストではなく合理的な経済判断であることが分かる。

抜本的な流砂系再設計と海藻の森・透過型杭列の導入には、初期投資として数百億円規模の費用がかかるだろう。しかしそれは、放置した場合に発生する50年累計数千億円規模の負担と比較すれば、明らかに経済合理性がある。

しかも一度自然のシステムが回復すれば、自己維持的に機能する。コンクリートのように経年劣化で更新が必要ではない。海藻の森も透過型杭列も、生態系として時間とともに強化されていく可能性すらある。

短期的な目線では「養浜の方が安く見える」かもしれない。しかし50年・100年というスパンで考えれば、自然のシステムを回復させた方が圧倒的に安い。これは経済学的にも、世代間倫理の観点からも、明らかな結論である。

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■ 終章 砂浜が問いかけるもの

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相模湾の海岸侵食問題は、単なる地域の自然環境の問題ではない。それは私たちの社会が、自然とどう向き合うかという根本的な姿勢を映し出している。

砂浜は、山から海までを貫く流砂系の最終産物である。そして流砂系は、地質学的時間――何千年、何万年という時間――の中で形成される。これに対し、人間の制度は短期的利益と既得権益を優先する論理で動く。両者の時間軸は根本的に不一致であり、その不一致が広がるほど、自然は侵食という形で人間に請求書を突き付ける。

しかもその請求書は、単年度の養浜費用という小さな数字ではない。背後地の防護費・道路復旧費・防潮堤整備費・観光業の減収・漁業の衰退・生態系の劣化・地域ブランドの毀損――これらすべてが累積し、最終的には数千億円規模の公的・社会的負担として、次世代に転嫁されていく。

片瀬・鵠沼の砂浜は、地球規模の問題の縮図である。気候変動、生態系の破壊、世代を越えた負担の問題、短期主義の弊害、利権による意思決定の歪み――そのすべてが、毎年痩せていくこの砂浜に凝縮されている。

完全な回復は不可能かもしれない。失われた湘南砂丘は戻らない。相模トラフに沈んだ砂は二度と浮上しない。しかし、これ以上の悪化を止めることはできる。流砂系全体を見通した設計に踏み出すことはできる。コンクリートではなく生命に頼る方法を選ぶことはできる。そしてそれは、長期的に見れば必ず経済的合理性を持つ選択である。

一滴の雫が万方に及ぶように、正確な問題認識が広がることが、制度を動かす最初の力になる。砂浜は私たちに問いかけている。あなたたちは、自分たちの子供や孫の世代に、何を残すのか、と。

その問いに、私たちはまだ答え切れていない。

            ── 了 ──

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■ 主な参考資料

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・神奈川県・国土交通省関東地方整備局・山梨県

 『相模川流砂系総合土砂管理計画』

・神奈川県『相模湾なぎさシンポジウム』資料(佐藤愼司氏ほか)

・神奈川県『相模湾沿岸海岸侵食対策計画』(平成23年策定・令和3年改定)

・神奈川県県土整備局 各年度当初予算案の概要

・茅ヶ崎市「茅ヶ崎海岸の侵食対策事業について」

・神奈川県藤沢土木事務所「茅ケ崎海岸侵食対策事業」

・Surfrider Foundation Japan「相模湾沿岸海岸浸食対策」

・環境省・国土交通省『我が国におけるブルーカーボン取組事例集』

 (2023年)

・環境省「相模トラフ・南部海山

  生物多様性の観点から重要度の高い海域」

・内閣府総合海洋政策本部「海洋関連予算」各年度資料

・国土交通省「海岸事業予算概要」各年度

・平塚市博物館「相模湾の海底地形」

・地震調査研究推進本部『相模トラフ』

・「鵠沼を語る会」資料(鵠沼地区社会・開発史年表ほか)

・三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 藤沢・江の島」

・各種百科事典・地理学資料

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