【200を超える都市が焼かれた ― 空襲の記録を時系列に並べて見えたもの】

先日、大東亜戦争における米軍の日本本土空襲について、日付順に整理した資料をまとめてみました。それをやろうと思ったきっかけは、以前に「平塚空襲」と聞いたとき、恥ずかしながら、全くの知識0 (ゼロ)という自分に気づかされたことでした。

広島・長崎については、メディアでも毎年大きく取り上げられ、私も関心を示してきました。東京大空襲も知っています。しかし、実はもっと身近に同じような戦争の悲劇が無数にあることを知らない。

そのことがきっかけで、全国であった空襲について、どれだけの規模で爆撃されたのか調べてみることにしたのです。結果、見えてきたのは、自分が想像していたものと現実とのあまりにも大きな違いでした。

■ まず、数字を見てください

空襲を受けた街は、本州・北海道・四国・九州だけで、なんと200を超えます。被害にあった人はおよそ970万人。焼けた家は約223万戸で、当時の家全体のおよそ2割にあたります。亡くなった方の数は、資料によって24万人とも100万人ともいわれ、はっきりしていません。(沖縄は地上戦となったため、この数字とは別に集計されています。県民の犠牲者は約9万4,000人とされます)

爆撃したのはB-29(アメリカの大型爆撃機。高度1万メートルを飛べることから「超空の要塞」と呼ばれた)で、延べ33,401機が飛来しました。

私がいちばん驚いたのは、この空襲を行う際に使用された爆撃機の機数です。1回の空襲に300機〜500機という単位でやってくるのです。横浜大空襲では101機のP-51を随伴させ、517機のB-29が襲来。およそ1時間で43万8,576個の焼夷弾(火をつけるための爆弾)を落としました。空が飛行機で埋まるというのは、たとえ話ではなかったのです。

■ 東京大空襲

はじめは、飛行機工場などの軍需工場を潰すことが目的であり、高い(高度8500メートル)ところから狙う方法で空襲を行っていました。しかし雲や風に邪魔されて、うまく当てるのは困難でした。そこで1945年3月10日、空襲のやり方が見直されたのです。

高度を1500〜3000メートルまで下げ、夜間に、焼夷弾で街そのものを焼くことにしたのです。この日、東京の下町に約300機が飛来し、8万人から10万5,400人が亡くなりました。これが後に言う「東京大空襲」でした。つまり、この空襲は綿密に計画され、多くの民間人が巻き込まれることも、振り込み済みでした。

■ 始まる無差別大量虐殺

3月から6月にかけて、東京・名古屋・大阪・神戸・横浜が次々に焼かれました。そして1945年6月15日、アメリカ軍は大都市の工場地帯の破壊は終わったと判断します。

しかし、ここから先が、いちばん重い部分でした。

東京大空襲で得た戦果を機に、次の攻撃の目標として選ばれたのは、人口の多い順に並べた180の地方都市です。軍需工場があるかどうかではなく、人が多い順です。8月2日の富山では、街の99.5パーセントが焼けて2,737人が亡くなりました。7月25日には、大分県の保戸島で授業中の小学校が攻撃され、児童125人と先生2人が即死しています。

工場のない街が順番に並べられたということは、この段階で壊そうとしていたのが、工業力ではなく、そこに住む人そのものだったことを意味します。

■ 実は日本軍も

ひとつ、公平に書いておかなければならないことがあります。

アメリカ軍が一方的に残酷だったと言うことではありません。日本軍も1938年から1943年にかけて、中国の重慶を200回以上爆撃しました。亡くなった方は1万人を超えるとされます(推計には幅があります)。街を繰り返し爆撃して住民の気力をくじくという発想は、のちの日本本土空襲と同じです。

つまりこれは、どちらの国が残酷だったかという話ではありません。「街を焼いて戦力を削ぐ」というやり方が20世紀に生まれ、それを持てるようになった国は、例外なくそれを使った。そういう話です。そして、これが戦争なのです。

■ まとめ

この資料をまとめている間にも、世界では戦争が続いています。

どちらが正しいかを、私はここで論じるつもりはありませんが、ただ、80年前の記録を並べたあとでニュースを見ると、見え方が変わりました。それは、やはり戦争の残酷さであり、報道されているニュース以外にも、私たちの知らない悲惨な事実がたくさんあると言うことです。

私はこの資料をまとめるまで、平塚市が空襲により、市の面積のおよそ8割を失ったことを知りませんでした。小田原が終戦前夜に、他の街の爆撃で余った爆弾を落とされ焼かれたことも知りませんでした。

これらは、戦争の中の小さな1つの出来事に過ぎないかもしれませんが、紛れもない事実です。戦争の事実を知らないことが平和ではないと私は思います。戦争の残酷さや悲惨さを知った上で、私たちはどのような未来を選択するかではないでしょうか。日本全国で行われた空襲の歴史が、少しでも未来の平和を考えるきっかけになればと思います。

空襲で亡くなられたすべての方々に哀悼の意を捧げます。黙祷。

(補足)

サンフランシスコ講和条約により日本政府が対米補償請求権を

放棄。戦時災害保護法も1946年9月に廃止されたため、民間の

空襲被害者は日米いずれからも補償を受けていない。1976年

以降訴訟が提起されているが、2022年時点ですべて原告敗訴。

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資料|日本本土空襲 時系列一覧 1942-1945

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米軍による日本本土への空襲を日付順にまとめた資料です。

機数・死者数は資料により幅があります。主要なものを掲載しています。

■ 1942年

4月18日 東京・川崎・横須賀・名古屋・四日市・神戸 B-25 16機 死者 約50人 ※本土初空襲

■ 1944年

6月16日 八幡(北九州) B-29 約75機 ※B-29による初空襲

10月10日 那覇ほか沖縄全域 艦載機 延べ約1,400機 死者 約660人

11月24日 東京(中島飛行機武蔵製作所) B-29 111機 ※マリアナ基地から本格開始

12月13日 名古屋(三菱重工) B-29

■ 1945年1月〜2月

1月3日 名古屋 B-29

1月27日 東京(銀座・有楽町) B-29 死者 約530人

2月4日 神戸 B-29 62機 死者 324人

2月16日〜17日 関東各地 空母艦載機 ※艦載機による本土初空襲

2月19日 東京 B-29 119機 死者 160人以上

2月25日 東京 B-29 約170機

■ 1945年3月 ※3月10日より市街地への無差別爆撃に転換

3月10日 東京(下町) B-29 約300機 死者 約8万〜10万5,400人 焼失26万8,000戸

3月12日 名古屋 B-29 200〜285機 死者 519人

3月13日〜14日 大阪 B-29 274機 死者 約3,115〜4,000人

3月17日 神戸 B-29 306〜309機 死者 2,598人

3月19日 名古屋 B-29 230機 死者 826人

3月29日 北九州 B-29

■ 1945年4月〜5月

4月13日 東京(豊島・渋谷・向島・深川) B-29 330機 死者 2,459人

4月15日 東京(羽田・大森・蒲田)/川崎 B-29 202機 死者 東京841人/川崎 約1,000人

5月10日 徳山 B-29 117機 死者 500人以上

5月11日 神戸 B-29 92機 死者 1,093人

5月14日 名古屋(北部) B-29 440〜472機 死者 338人 ※名古屋城焼失

5月17日 名古屋(南部) B-29 457機

5月24日 東京(麹町・麻布・牛込) B-29 525機 死者 762人

5月25日〜26日 東京(山手) B-29 470機 死者 3,651人

5月29日 横浜 B-29 517機+P-51 101機 死者 公式3,650人/実際8,000〜1万人

■ 1945年6月

6月1日 大阪 B-29 約450機+P-51 約150機 死者 約3,000人

6月1日 尼崎 B-29 死者 231人

6月5日 神戸 B-29 481機 死者 3,184人

6月7日 大阪 B-29 250機 死者 1,594人

6月9日 名古屋(熱田) B-29 死者 2,068人

6月10日 日立 B-29 死者 1,200人

6月10日 阿見(茨城) B-29 死者 374人

6月10日 千葉 B-29 約100機 死者 152人

6月15日 大阪 B-29 469機 死者 418人

     ※この日、米軍が大都市工業地帯の破壊完了と判断。以後、人口順の180中小都市へ

6月17日 鹿児島 B-29 117機 死者 2,316人

6月18日 浜松 B-29 死者 1,720人

6月18日 四日市 B-29 89機 死者 736人

6月19日 福岡 B-29 239機 死者 902人

6月19日〜20日 静岡 B-29 137機 死者 1,952人

6月19日〜20日 豊橋 B-29 136機 死者 624人

6月22日 姫路 B-29 52機 死者 341人

6月22日 各務原 B-29 44機 死者 169人

6月22日 呉 B-29 死者 1,600人

6月26日 京都(西陣) B-29 死者 43人

6月29日 佐世保 B-29 141機 死者 約1,300人

6月29日 岡山 B-29 137機 死者 1,737人

6月29日 延岡 B-29 117機 死者 130人

■ 1945年7月

7月1日〜2日 呉(市街) B-29 150機 死者 3,700人

7月1日〜2日 熊本 B-29

7月2日 下関 B-29 143機 死者 324人

7月3日〜4日 姫路 B-29 106機 死者 173人

7月4日 高松 B-29 116機 死者 1,359人

7月4日 徳島 B-29 129機 死者 約1,000人

7月4日 高知 B-29 125機 死者 401人

7月6日 千葉 B-29 124機 死傷 1,679人

7月6日 甲府 B-29 131機 死者 1,027人

7月7日 明石 B-29 124機 死者 355人

7月7日 清水 B-29

7月9日 和歌山 B-29 約100機 死者 約1,200人

7月9日 堺 B-29 約100機 死者 1,860人

7月9日 岐阜 B-29 約130機 死者 約900人

7月10日 仙台 B-29 124機 死者 828人

7月12日 宇都宮 B-29 133機 死者 628人

7月12日 敦賀 B-29 死者 109人 ※日本海側で初

7月14日 釜石 艦砲射撃 死者 515人以上

7月14日〜15日 北海道全域・青森 艦載機 約2,000機 ※青函連絡船12隻全滅

7月15日 室蘭 艦砲射撃 死者 436人

7月16日 平塚 B-29 136機 死者 343人 ※市域の約8割焼失

7月16日〜17日 大分 B-29 約30数機 死傷 1,193人

7月17日 沼津 B-29 130機 死者 274人

7月17日 日立・ひたちなか 艦砲射撃 死者 394人

7月19日 福井 B-29 120機 死者 1,576人

7月19日 日立 B-29 127機 死傷 2,199人

7月19日 銚子 B-29 91機 死傷 1,181人

7月19日〜20日 岡崎 B-29 126機 死者 203人

7月24日 半田(愛知) B-29 78機 死者 269人

7月24日 大阪 B-29 約400機 死者 187人

7月24日・28日 津 B-29 死者 1,239人

7月24日・28日 呉軍港 艦載機950機+B-29 110機 死者 780人

7月25日 保戸島(大分) F6F艦上戦闘機 死者 児童125人・教師2人 ※授業中の国民学校を直撃

7月26日 松山 B-29 128機 死者 259〜301人

7月26日 徳山 B-29 約100機 死者 482人

7月28日 青森 B-29 61機 死傷 1,767人

7月28日〜29日 一宮 B-29 約260機 死者 727人

7月28日〜29日 宇治山田(伊勢) B-29 死者 75人

7月29日 大垣 B-29 死者 50人 ※大垣城焼失

7月29日 浜松 艦砲射撃 死者 177人

7月31日 清水 艦砲射撃 死者 44人

■ 1945年8月

8月1日 水戸 B-29 99機 死者 242人

8月1日 八王子 B-29 169機 死者 445人

8月1日 長岡 B-29 125機 死者 1,486人

8月2日 富山 B-29 174機 死者 2,737人 ※市街地の99.5%焼失

8月5日 前橋 B-29 92機 死傷 1,323人

8月5日〜6日 今治 B-29 約70機 死者 454人

8月6日 広島 B-29「エノラ・ゲイ」1機+観測機2機 死者 1945年末までに約14万人 ※原子爆弾

8月7日 豊川(海軍工廠) B-29 死者 2,477人

8月8日 福山 B-29 91機 死者 354人

8月8日 八幡 B-29 127機 死者 2,952人

8月9日 長崎 B-29「ボックスカー」1機+観測機2機 死者 1945年末までに約7万4,000人 ※原子爆弾

8月9日 大湊 艦載機 死者 129人

8月9日 釜石 艦砲射撃 死者 301人以上

8月11日 久留米 B-24 死者 約210人

8月11日 加治木(鹿児島) A-20 18機 死者 26人

8月12日 阿久根(鹿児島) P-38 死者 14人

8月13日 長野・上田 艦載機 62機

8月14日 光(海軍工廠) B-29 死者 738人

8月14日 大阪 B-29 約100機 死者 173人

8月14日〜15日 熊谷 B-29 89機 死傷 687人

8月14日〜15日 伊勢崎 B-29 93機

8月14日〜15日 小田原 B-29 死者 30〜50人 ※熊谷・伊勢崎爆撃の帰路に余剰爆弾を投下

8月14日〜15日 秋田・土崎 B-29 132機 死者 250人以上 ※本土最後の空襲

8月15日 千葉(長生郡ほか) 英海軍艦載機 ※第二次世界大戦最後の空襲

■ 総括

被災都市 200都市以上(本州・北海道・四国・九州)

被災人口 約970万人

被災家屋 約223万戸(当時の全戸数の約2割)

被災面積 約6万4,000ヘクタール

死者総数 約24万人〜100万人(諸説あり)

B-29 延べ出撃 33,401機

B-29 損失 485機(損失率1.45%)

投下爆弾 147,576トン

※沖縄は地上戦のため別集計。県民の犠牲者は約9万4,000人とされます。

■ 主な使用機

B-29 ボーイング社の四発戦略爆撃機。高度1万mを飛行。「超空の要塞」

B-25 ノースアメリカン社の双発中型爆撃機。ドーリットル空襲で使用

B-24 コンソリデーテッド社の四発爆撃機

P-51 ノースアメリカン社の戦闘機マスタング。硫黄島から発進しB-29を護衛

P-38 ロッキード社の戦闘爆撃機

A-20 ダグラス社の軽爆撃機

F6F グラマン社の空母艦載戦闘機

■ 主な出典

総務省 一般戦災ホームページ/米国戦略爆撃調査団報告/各自治体の戦災記録/東京大空襲・戦災資料センター

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